石田純一さんと言えば、「不倫は文化」という名文句で一世を風靡した過去が印象的ですよね。
ところが、これって石田さん本人が言った言葉ではなくて、スポーツニッポンの記者だった前野篤志さんがキャッチコピーとして考えたものだったんですって!
TBS系番組「7時にあいましょう」で、20年もの時を経て会い、直接バトルを展開するってんで注目しちゃいましたよ♪
どうやらお互いに言いたことがある様子・・・。
どうなっちゃったんでしょうね!?
「不倫は文化」報道の真相とは?
1996年、石田純一さんがモデルで女優の長谷川理恵さんと交際していたのは事実です。
なぜ断言するかって言うと、私自身が当時、東京都赤坂で目撃しているからです♪
映画関連の仕事をしていた私は、テレビ局への出入りも頻繁にしていました。
その日、車を運転して赤坂のTBS前の通りを走っていたんですが、たまたま、対向車のポルシェに目を向けたんです。
すると、日光に照らし出された運転席には石田純一さん、そして助手席には長谷川理恵さんが座っていたんですよね♪
互いにほのぼの笑顔で、深い親密さを感じさせる雰囲気だったのを覚えています。
そして、2人の不倫騒動を記事にしたスポーツニッポン・・・。
キャッチコピーとして見出しには「不倫は文化 何が悪い!」みたいな文句が踊っておりましたよ。
この記事をきっかけに、石田さんの人生はどん底・・・。
風評被害によって仕事はなくなるわ、娘さんの小学校受験は失敗するわ、奥様と離婚することになるわ・・・。
ところが実は、石田さん本人は「不倫は文化だ!」なんて発言はしていないんですね。
当時詰めかけたマスコミ報道陣に対して、
「忍ぶ愛って、存在しても良いのではないか?
その中から生まれる小説や音楽などの文化だってある」
といった意味のことを、勢いで言っちゃっただけなんですね。
不倫していた事実を棚上げした自己中な発言だし、世論の反感を買ってもおかしくなないんですけど、確かに「不倫は文化だ!」とは言っていないわけです。
ま、自業自得って部分もあるけど、このフレーズがあまりに上手だったため、見事に世の中に浸透しちゃったんですよね。
スポニチ記者の前野篤志とは?2人は和解できたのか?
番組に出演して、石田純一さんとの面会を受け入れた前野篤志さん・・・。
どのような方なのか調べてみました。
生まれ: 1963年(昭和38年)
年齢: 53歳
現在は大阪のスポーツニッポン本社ビルに勤務し、編集局次長という役職に就いているという前野さんですが、画像はこちらです。
1996年当時、石田純一さんと長谷川理恵さんの不倫情報を受け、
「不倫は文化 何が悪い」
などと見出しを付けた張本人なわけです。
今回、石田さんは、こんな見出しを付けた真意や、自分をどう思っていたのかを問いたいと言うわけです。
番組の予告で前野さんは、
「何が悪い」
「そんなことくらいでいちいち騒ぐなよ」
ってな態度で、真っ向勝負を挑むような勢いでした。
番組の本編でも、冒頭から一触即発ムード・・・。
石田さんの質問に前野さんは悪びれることなく答えます。
「スポーツ新聞は注目されてなんぼ」
「おじさんにウケる内容にしなけりゃ意味がない」
「”不倫は文化”は、締め切りに追い詰められる日々で気がおかしくなるような中、思いついたもの」
さらには、石田さんの不倫騒動について「おいしい」とさえ思ったと豪語します。
私は、人生を崩壊させてしまった本人を目の前に、よくもまぁ~強気で言ってくれるわ・・・って思ったものです。
これくらい図々しさを備えていないと、新聞記者なんて務まらないのかな?って・・・。
でもですね、石田さんってば・・・
「お礼を言いたかった」
なんて言うんですね! Σ(゚Д゚;)ハッ?
「あのままただ年老いていくところ、”不倫は文化”の定着でイメージができた」
みたいなことを言って、自分にはかえってプラスになった、みたいなことを伝えたんですよ。
これには臨戦態勢の前野さんもビックリ・・・。
「殴られるくらいの覚悟でいたのに・・・」って。
石田さんは以前、美輪明宏さんに諭されて、こんなふうに思うようになったんだそうな・・・。
当時はショックを受けて、傷ついた娘さんを見て落ち込んでいたみたいですが、今ではポジティブにとらえることができるようになったみたいです。
20年を経て、2人は固く握手・・・。
その昔、石田さんは自身の不倫騒動に、前野さんは自身の仕事ぶりに、それぞれが開き直って出した結果だったんですよね。
それが遺恨を乗り越えて握手って、なんか人って面白いですね♪