宮迫博之の元相方は恵藤憲二!昔のコンビ名は?AAA伊藤千晃と結婚の実業家とは?

 

実業家との結婚&妊娠を発表し、所属グループ「AAA」からの卒業も表明した伊藤千晃さん。

 

そのお相手が、なんと「雨上がり決死隊」の宮迫博之さんの元相方としてコンビを組んでいたことが明らかになったそうな・・・!

 

それが、今回取り上げる惠藤憲二(えとう けんじ)さんであります。

 

いったいどんな人物なのか気になりますよね?

 

吉本興業出身の中でナンバーワンの成功者とも呼ばれ、事業売却により業界内外に波紋を広げ、今は悠々自適に暮らしているとされる惠藤氏・・・。

 

ちょっと調べてみることにいたします!

 

 

宮迫博之とのコンビ名は「ぴいぷる」

思わず頭の中が「!!??」となってしまった今回の報道・・・。

ニュースポストによれば、次のように伝えられておりました。

 

新聞報道などでは、相手は一般人で〈俳優・浅野忠信似の40代実業家〉などと報じられたが、実は過去に芸能界にも在籍していた“有名人”だった。伊藤(千晃)の知人が明かす。

「旦那さんは、かつて『雨上がり決死隊』の宮迫博之さんとお笑いコンビを組んでいたAさんです。元芸人だけあってトークが面白く、20歳近い年の差を感じさせない距離感に、伊藤も居心地の良さを感じていました。2人は数年前に知人を介して知り合い、昨年春から交際をスタート。夏頃には半同棲生活を始め、昨年末に妊娠が発覚したことで入籍を決断したそうです」

このA氏、実はただの実業家ではない。高校卒業後、19歳でラーメン店を起業。一方で吉本興業のお笑い芸人養成学校であるNSC(吉本総合芸能学院)に通い、そこで宮迫とコンビを組んでいた。だが、経営の才覚があったA氏は、すぐに芸人を辞めて事業に専念する。ラーメン店に始まった事業は、雑貨の並行輸入や飲食と広げ、水商売の世界で花開く。

「1990年代初頭から、大阪でキャバクラ経営を始め、次々と店舗を拡大。2000年代前半には、関西だけでなく関東、中国、北陸、四国などで約100店舗を運営し、年商300億円もあったそうです。“日本一のキャバクラ王”となったA氏は、そこで止まらなかった。その後、有名グラドルも在籍した芸能事務所、女性向けのアパレルブランドを立ち上げます。

とくにアパレルブランドの売上高は370億円(2014年3月期)にも達し、“アパレルの新星”ともてはやされました。現在、A氏はこれらの事業を手放し、巨額の売却益を得て、悠々自適な生活を送っているようです」(経済ジャーナリスト)

引用元:news.livedoor.com ※一部省略・編集

 

NSCに通っていたころに宮迫さんとコンビを組んでいたんですね。

そのときのコンビ名は「ぴいぷる」と言うんだそうです。

 

でも、NSC時代の話であって、芸人としてのデビューはしていたのか否か、はっきりしませんね・・・。

 

惠藤さんの年齢については後述しますけど、ラーメン店を企業したという19歳のころは1986年くらいにあたると思われます。

 

今のように「ラーメン激戦区」なんて言葉を聞いた覚えがないんで、ラーメン屋さんを開こうという発想が当時としては新鮮だったかもしれませんね。

 

いったいどんな味のラーメンを提供していたのか知りたいところですが、ちょっと情報は得られませんでした・・・。

 

それにしても、年商300億とか売上高370億とか、私などには想像もできないレベルの事業を展開していたんですな・・・。

 

そういう経営の才覚って、どこでどうやって育つものなのか知りたいものであります。

 

 

恵藤憲二のプロフィールは?

 

さて、惠藤憲二さんのプロフィールですが、yourpediaによれば次のように紹介されております。

 

惠藤憲二(えとう けんじ)は日本の実業家、投資家。 投資会社であるエトーム株式会社の代表取締役

大阪府出身
2005年11月にファッションビジネスや投資を行うMARK STYLER株式会社を設立。

20代前半の女性をターゲットとしたファッションブランドを数多く立ち上げ世に送り出すとともに、ブランド以外にもBORNY・The Dayz tokyoなどのセレクトショップを、東京・大阪を中心に展開。

MARK STYLERが保有するブランドのルックブックにはケイト・モスやミランダ・カーなど話題性のあるモデルを起用。

投資事業としては、過去にパリを拠点に展開しているハイエンドセレクトショップ・レクレルールに出資し、2006年2月から2009年12月まで東京都南青山にて運営。

その後、そのハイエンドなファッションブランドのノウハウを活用し、オリジナルセレクトショップvalveat81を2010年から2015年まで展開。

2012年秋には、アメリカ西海岸で事業展開するカルチャー・ライフスタイルに特化したセレクトショップFred Segalの日本での商標マスターライセンス並びに独占販売輸入権を取得。2015年2月2日付で、諸戸(もろと)インベストメント(三重県、以下、諸戸)と関連会社のセレンディップ・コンサルティング(名古屋市、以下セレンディップ)へ売却。

2015年4月30日付けでMARK STYLER株式会社の全株式を、2015年5月1日(4月30日付)で、中国系投資ファンド、シティック・キャピタル・パートナーズ (CITIC Capital partners) に売却している。

引用元:ja.yourpedia.org

 

お名前ですが、正しくは「惠藤憲二」とちょっと難しい方の字を書くようです。

 

大阪府のご出身ということ以外には、経歴ばかりの情報となっています・・・。

学歴も先述のNSCくらいしか判明していませんし、生年月日も不明です。

 

それにしても、事業展開については、素人の私にはあんぐりものです。

 

いったいどうやって起業ノウハウを身につけたのか、資金はどこから得ていたのか、誰かメンターのような存在がいたのか、いろいろと不思議でなりませんわ・・・。

 

「マークスタイラー」という社名を知らない私でも、「EMODA(エモダ)」「MERCURYDUO(マーキュリーデュオ)」などのブランド名なら聞き覚えがありますもんね。

なんかスゴイや。

 

さて、惠藤さんの年齢についてなんですが・・・

2014年10月16日の「現代ビジネス」の記事によれば、当時の惠藤さんの年齢は48歳とされていました。

 

だとすれば、2017年1月の現在は、推定50歳か51歳・・・。

 

あれれ・・・今回の結婚報道では「40代実業家」となっていますが、ちょっと食い違いますね。

 

ま、いずれにせよ、限りなく50歳に近いアラフィフであることに間違いはないでしょう。

 

かつては「アパレル界の新星」と称され、業界の盛り上げに貢献されるだろうと期待されたそうな・・・。

 

それだけに、48歳にして事業売却&退任という発表は、業界内外に衝撃を与えたと言われています。

 

現在の肩書は投資会社「エトーム株式会社」の代表取締役とされていますが、その事業内容は判然としません・・・。

 

案外、ご自分一人で「悠々自適」に自由業を楽しんでいるのではないでしょうか?

 

何をしなくてもお金があるって、羨ましいですね♪

ま、それまでのご本人の努力があっての現在ですけど!

 

【参考】livedoorニュース yourpedia