俳優の渡瀬恒彦さんが胆のうがんのため亡くなりましたな。
享年72・・・。
私の叔母がちょうど同じ病気で生死の境をさまよっておりまして、なんだかショックを受けてしまいました。
療養中だということは知っていましたが、回復して復帰したものだと思っておりました。
そうじゃなくて、入退院を繰り返していたんだそうな・・・。
頑張っていたんですね。
ご冥福をお祈り申し上げます。
渡瀬恒彦さんと言えば、今ではすっかり、「十津川警部」か「おみやさん」のイメージですよね。
あれはあれで素敵だったんですが、若い頃はもっとカッコよかったんですよ。
私が初めて拝見したのは、映画「皇帝のいない八月」でありました。
山本薩夫監督による自衛隊のクーデターを描いた作品で、吉永小百合さんや山崎努さんらが共演しておりました。
この作品が公開されたのは1978年9月・・・。
なんと、もう40年近くも前のことなんですねぇ~。
当時の渡瀬さんは33歳。
私と同じく映画好きで、とくに邦画を好んだ兄に、
「誰これ、この役者!?」
なんて質問したのを思い出します。
それで渡哲也さんの弟さんだと知ったんです。
簡単にプロフィールを振り返ってみると次のような感じです。
名前: 渡瀬 恒彦(わたせ つねひこ) ※本名同じ
生年月日: 1944年7月28日 享年72歳
出身地: 島根県能義郡安来町(現・安来市)
※ テレビ朝日「ワイドスクランブル」で報じられた際、兵庫県淡路島出身とされており、判然としません。
身長: 174cm
血液型: AB型
学歴: 三田学園高等学校卒業、早稲田大学法学部除籍
所属: 東映マネージメント
お兄さんとは違い、芸能界に興味がなかった渡瀬さんが、当初は電通PRセンターに勤務するサラリーマンだったことは有名な話です。
その渡瀬さんを、当時の東映社長の岡田茂氏が直々に口説いて俳優デビューを飾ることになったのも、これまた有名な話・・・。
デビューに際して、高倉健さんを意識した芸名「大倉純」なんてのを用意されたらしいんですが、渡瀬さんは気に入らずに本名を使うことを申し出たんだそうな。
いやぁ~、英断、英断。
危うく二番煎じのような芸名になるところだったんですからね。
1973年には女優の大原麗子さんと結婚されますが、5年で離婚しています。
その後、現在の奥方と再婚されましたが、大原さんの葬儀に参列していた渡瀬さんの姿が印象に残っております。
離婚の翌年1979年には、野村芳太郎監督による破傷風を題材にした映画「震える舌」、前田陽一監督脚本による桃井かおりさんとの共演作「神様のくれた赤ん坊」で、キネマ旬報主演男優賞に輝いています。
ちなみに、「震える舌」は当時の映画館で予告編を観まして、すごく気味が悪かったんでスルーしてしまい今に至っております・・・。
( ̄▽ ̄;).。oO
これ、当時はホラー映画のような宣伝文句で煽ったみたいなんですが、内容的には家族愛の話なんですよね。
最後もめでたしめでたしって感じみたいだし・・・。
てか、観てないけど。
渡瀬恒彦さんを語る際に忘れられないのが1981年の映画「セーラー服と機関銃」であります。
当時アホみたいに人気のあった薬師丸ひろ子さんが主演したとあって、映画館は連日のように長蛇の列ができておりました。
そんな中、私もアホみたいに3回も観に行ったものであります・・・。
赤川次郎さんの同名小説の映画化で、書店に並んだ文庫本の表紙が薬師丸ひろ子さんのビジュアルに変わったんですよね。
なので、すでに一冊持っていたにも関わらず、また買っちゃったという・・・。
そのビジュアルがこちら。
この映画の中で、唯一男前な役どころだったのが渡瀬さんであります。
ラストには薬師丸ひろ子さんとのキスシーンもあったりして、映画館は声にもならない悲鳴がこだましておりましたよ。
あれ以来、私の中で存在感マシマシの渡瀬恒彦さん・・・。
薬師丸ひろ子さんのファンを卒業してからも、俳優としての渡瀬さんには注目しておりました。
あのシブく響き渡る声、ニヒルな中にも暖かみのある微笑・・・。
晩年は演技が落ち着いちゃった感はあるものの、その魅力は健在で、だからこそお茶の間の人気が維持できたんでしょうね。
また思い出深い俳優さんが1人・・・。
合掌。