武井咲さんがテレビ朝日系ドラマ「瀬戸内少年野球団」に主演されると聞きました。
私のような昭和な男にとって、このタイトルは故・夏目雅子さんを連想せずにはおれませんな・・・。
たしか昨年が没後30周年だったと思うんですが、秋に放送されるってことは、命日である9月11日を意識した企画なのかな?
夏目さんは、それこそ昭和を代表する女優になりながら、若干27歳で逝去されています。
この機会に、濃密で波乱にとんだ、ある意味でドラマチックな夏目雅子さんの生涯を振り返ってみたいと思います。
夏目雅子のプロフィールや経歴は?
夏目雅子さんが女優になることを意識したのは、小学校3年生のときだそうです。
よくある話ですけど、当時のテレビドラマ「チャコちゃんハーイ!」を観たことがきっかけなんだとか・・・。
でも、東京都港区六本木で輸入雑貨店「亀甲屋」を営む立派な家柄、お母さんの反対にあい、子役になりたいという希望は通らなかったみたいです。
ところが、17歳のころに観た映画「ひまわり」の主演女優ソフィア・ローレンに感化されたことが、あらためて女優を目指す決意につながります。
ここで夏目雅子さんの最終的なプロフィールをまとめてみましょう。
本名: 西山 雅子(にしやま まさこ)
※「西山」は元夫の伊集院静氏が韓国から帰化した際の戸籍名
旧姓: 小達(おだて)
生年月日: 1957年12月17日
没年月日: 1985年9月11日 享年27歳
出身地: 東京都港区六本木生まれ、神奈川県横浜市育ち
学歴: 東京女学館小学校、中学校、高等学校卒業、短期大学中退
職業: 女優
公式サイト: 夏目雅子ひまわり基金
夏目さんの最初の仕事は、1976年に出演したタオルメーカー内野株式会社のCMです。
お父さんの友人の紹介で実現したそうです。
このころはご両親も協力的だったんでしょうかね・・・?
(。´・_・`。)?
でも、この仕事が校則に反するみたいで、短期大学を中退しているのはそのためなんだとか・・・。
この年、女優デビューも果たした夏目さんですが、ブイレクのきっかけは翌1977年のカネボウ化粧品のCMだったんです♪
健康的に日焼けした水着姿で、情熱的な眼差しが印象的でしたっけ・・・。
当時まだ小学生だった私もドキドキさせられちゃったものです。
ヽ(´ii`)ノ
ちなみに、芸名の「夏目」は、このCMを機会に付けられたんですってよ♪
商品の「クッキーフェイス」が“夏の目玉”になるってんで、本名の「小達」から改名したんだそうです。
私にとってずっと謎だった芸名の由来ですが、こんな理由だったなんてちょっとビックリです・・・。
で、この翌年、1978年から日本テレビ系で放送された堺正章さん主演の「西遊記」!!
ゴダイゴの主題歌で評判になったアレですが、夏目さんが三蔵法師を演じています。
男役ってことだったとは思うんですけど、
「こんな三蔵法師だったら、僕もお供したい・・・」
そんなアホなことを考えた当時の小学生は数知れず・・・。
でも、私にとっての夏目さんのイメージは、テレビドラマよりも映画なんです。
代表作をザッと並べると次のような感じ・・・。
1982年「鬼龍院花子の生涯」
1983年「時代屋の女房」、「南極物語」、「魚影の群れ」
1984年「瀬戸内少年野球団」
そうです、映画としての遺作こそが、武井咲さん主演でドラマ化される「瀬戸内少年野球団」なんですね。
武井咲、夏目雅子さん演じたヒロインに抜てき 32年ぶりに名作が蘇る #武井咲 【ほか写真あり】https://t.co/WSVQf1lRI5
— モデルプレス (@modelpress) 2016年5月29日
あ、夏目雅子さんの美しい画像については、ネット上にいっぱいアップされているんで、そちらを検索してみてくださいね♪
権利の関係で好き勝手に使えないもんで・・・。
( ̄▽ ̄;).。oO
伊集院静氏との結婚や死の真相は・・・?
先ほど、夏目雅子さんがブレイクするきっかけになったとご紹介したカネボウ化粧品「クッキーフェイス」のCM・・・。
実はこれのディレクターが、後の直木賞作家で夫となる、伊集院静さんだったんですって!
でも、この当時の伊集院さんには妻子があって、事実上2人は不倫関係を続けることになりました。
過去に夏目さんが何度も堕胎しているということは、伊集院氏本人だけでなく、夏目さんのお母さんである小達スエさんも認めているそうです・・・。
さらに、伊集院さんは結婚直前まで、当時「翔んでる女優」と称された桃井かおりさんとも交際していたと言われています。
いわゆる二股ってやつですな・・・“(*`ε´*)ノ
それなのに夏目さんとも関係を続けること、実に7年・・・。
結果、伊集院さんは二人目の妻として夏目さんを選び、当時は「略奪婚」だなんて言われたこともあるそうです。
ま、伊集院さんってモテモテだったみたいだし、ご本人も女性に手が早いって有名だったそうな・・・。
もっとも、夏目さんとしては伊集院さんと結婚できて幸せだったと言われてるし、今となっては、夏目さんが納得していたのならそれでイイですよね。
夏目雅子の病と最期の真相とは?
夏目雅子さんには、「腎盂炎(じんうえん)」と「バセドウ病」という2つの持病があったそうです・・・。
バセドウ病については1981年に手術を受けているんですが、お母さんのスエさんも扁桃腺肥大だったそうで、遺伝的な原因があるのかもしれませんね。
カネボウ化粧品のCMであれだけ健康的な美しさを見せていただけに、病気に苦しんでいたなんてすごく意外です・・・。
結局、夏目さんは病との縁が切れなかったみたいで、亡くなる原因にもなった白血病を発症してしまいます。
夏目さんの最期について、とある記録には次のように書かれています。
約7ヶ月という長い闘病生活を送りながらも順調に回復し、
退院間近の報道もあった矢先であったが、
その後、抗がん剤の副作用等が原因とみられる肺炎を併発・・・
実は、ここにドラマチックなストーリーがあったみたいなんです。
2007年にTBS系でドラマ化された、お母さんの小達スエさんが原作原案の「ひまわり~夏目雅子、27年の生涯と母の愛~」には、次のようなエピソードを書き残しています。
薬などの投与によって順調に回復した夏目雅子さん。
このままいけば退院も近いとされていた夏の日、近くで開催される花火大会の花火を観たいと、夫の伊集院さんにせがみます。
そして、わがままを通して、病院の屋上から花火を観るのですが、それが原因でひいたとみられる風邪をこじらせてしまいます。
白血病の治療に使われた薬の副作用は、夏目さんの身体から抵抗力を奪っていました。
そのため、治る風邪も治らず、高熱をともなう肺炎になってしまい、重体となります。
結果、1985年9月11日に永眠されました。
素顔はとても無邪気で楽しく可愛らしい人柄だったと言われる夏目雅子さん・・・。
我々から見れば、なんとも切ない最期ですけど、最愛の人と観た花火は、きっとキレイで、去りゆく夏目雅子さんにとっては、素敵な思い出になったことでしょう。
夏目雅子さんの菩提寺は、山口県防府市防府駅近くの大楽寺ですが、多磨霊園の小達家の墓にも分骨されているそうです。
戒名は「芳蓮院妙優日雅大姉」。
最後の仕事は、ナレーションを務めた1984年「北の蛍」だったそうです。
ご存命なら今年2016年12月17日で59歳・・・。
“美人薄命”なんて言葉もありますが、いまだに残念でなりません。
ベテラン女優になった姿で、武井咲さん主演の「瀬戸内少年野球団」にも友情出演! なんて実現したら良かったのに・・・。
夏目雅子さんは、私にとって数少ない「忘れられない女優さん」であります!
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