松山ケンイチが演じる村山聖棋士とは?人柄や経歴から映画を想像!

聖の青春 イメージ画像

左)松山ケンイチさん 右)村山聖九段

激太りが心配されていた松山ケンイチさんですが、映画のための役作りだったことが判明しましたね。

演じるのは早逝の天才棋士で羽生善治氏と並び称された村山聖(むらやま さとし)九段だそうです。

私が17歳の頃に亡くなった父親が大の将棋好きだったので、名前くらいは存じ上げていましたが、この機会にもっと調べてみることにしました ヽ(´ー`)ノ

村山聖氏の人柄や経歴をたどれば、映画の内容も想像できるかと思います。

村山聖九段のプロフィールは?

まずは村山聖氏のプロフィールをご紹介したいと思います。

若干29歳の若さで亡くなった天才棋士の人柄が偲ばれる、棋士仲間からのコメントなどもご覧いただき、その生涯や物語を想像してもらえたらと思います。

名前: 村山 聖(むらやま さとし)
生年月日: 1969年6月15日
没年月日: 1998年8月8日(享年29歳)
出身地: 広島県安芸郡府中町
血液型: AB型
プロ入り年月日: 1986年11月5日(17歳)
棋士番号: 180
師匠: 森信雄
段位: 九段(追贈)

村山氏は5歳のときに腎臓の病気「ネフローゼ」であることが発覚しました。尿にタンパクが多く出てしまうことで血液中のタンパクが減る病気です。

外的な症状としては浮腫(むくみ)が起こるのが特徴で、食事制限などが必要になることから、食べたり遊んだりが楽しい子供にとっては辛い闘病生活になると思われます・・・。

私の母親も数年前に軽度のネフローゼと診断されて、悪化すると人工透析が必要になる場合もあると言われました。

幸いなことに、現在は薬の投与だけで概ね小康状態を保っています。

さて、闘病生活を余儀なくされた村山氏は、父親から将棋盤と駒をプレゼントされたことを機に、将棋に没頭するようになったそうです。

その後は、中国こども名人戦で4連覇するなどし、母親の尽力や日本将棋連盟広島将棋同好会支部の支部長の紹介もあって、森信雄氏(現七段)に弟子入りします。

森氏は当時30歳だったそうですが、若干中学生の村山氏を見るなり気に入ったと言います。「普通の子ではない」と見抜いたんだとか・・・(ノ゚ο゚)ノ オオオオォォォォォォ-

森氏は、持病によってたびたび高熱を出す村山氏のために、買い物に行ったり洗濯をしたりと、命がけで将棋を指す弟子のために面倒を惜しまなかったと言います。

そのおかげもあって、村山氏は破竹の勢いで当確を現し始めますが、強くなるとともに周囲からの妬みや陰口に心を傷めた時期もあったみたいです。

自身の病気を自覚していたからでしょうか、爪や髪さえも尊いと考え、切ることを極端に嫌っていたそうです。

病気のためにむくんだ独特の風貌だったこともあり、いつしか周囲は「不潔」だと噂するようになり悩んだと言います。

これに対して師匠の森氏は「強くなれば言われなくなる」と励ましたそうな・・・。

松山ケンイチさん主演で映画化される「聖の青春」の原作は、「将棋世界」の編集長でもあった大崎善生氏によるノンフィクションです。

村山氏と森氏の師弟愛に感銘を受けた1人であると言われています。

また、村山氏の人柄について、別冊宝島440号「将棋これも一局読本」(1999年4月刊)には多くのプロ棋士のコメントが掲載されています。

村山氏の人柄を知るには実に参考になるので、一部抜粋してご紹介したいと思います。

米長邦雄
純。幼少より腎機能に弱点があり、つねに死と向い合っていた男。

青野照市
ともかく才能のあった棋士、そして最後まで勝つことに執念を燃やした男だった。
(中略)
病気でなかったらタイトルがとれたとか、名人になっていたなどの表現は、私としては理解できないし、そう思わない。彼に失礼であると思っている。

田丸昇
意外といい声で、ハイトーンだった。10年前、彼が奨励会員のころ、私が局後の感想戦で検討していたとき、彼からある読み筋を指摘されてびっくりし、いったい誰かと思わず顔をまじまじと見た。

大野八一雄
死を覚悟して勝負していた人間にかなうはずがない(生き方として)。
よく食事に行った。盤を離れたら人なつっこいかわいい先生だった。

鈴木輝彦
麻雀や酒の席で何度か一緒しました。
生命の時間と戦っている苦労を見せませんでした。
人間として、本物だったと思います。
淋しがり屋の一面も心に残っています。

福崎文吾
くったくのない人で、非常にほがらか、また、ユーモアのセンスが抜群で、まことに正直な人間だった。
(とても優しい)師匠の森信雄さんが理事に立候補したとき、これ以上ないほど選挙協力を惜しまなかった。
また、将棋に関しては、羽生善治さんに比肩する鬼才の持ち主。

島朗
借りを作るのが嫌いな、いさぎよい男。
彼と真剣勝負が何局か指せて、幸せだと思う。

神崎健二
「執念」「根性」「集中力」がケタ違いだった。
だが、ボケとツッコミを演じて笑わせたりする楽しいキャラクターでもあった。

三浦弘行
棋士は職業上、どうしても性格に癖があるのが普通ですが、村山さんにはそういったものが感じられず、プロ棋士のほとんどの方に愛されていたと思います。

真田圭一
今という一瞬に生命を燃やせる人だったと思う。
決して弱音を吐かず、人の痛みや苦しみを人一倍思いやる性格だったと思う。

北島忠雄
心の綺麗な人。

鹿野圭生
身体にいいことはなんでもするが、身体に悪いこともなんでもする、意地っぱりな性格だったと思う。

これらを読むだけでも、村山氏が多くの仲間に好かれる人物だったことが分かりますね。将棋に強いだけでなく、29歳にして人の気持が分かる優しい人柄だったみたいです (´ー`)

もしかしたら、ご自身の病気と向き合っていく過程で、生きていく上で大切なものに気づいていたのかもしれませんね。

村山聖九段の経歴は?

村山聖の笑顔 画像

出典:森信雄の写真あれこれ

師匠だった森信雄氏のブログには、今も村山聖氏のくったくのない表情をとらえた画像が多く掲載されていました。

思えば、師匠とは言っても、当初は森氏も30歳の若さだったんですよね。それだけに村山氏への思いは深いようで、画像を拝見するだけでも師弟愛を感じることができます。

さて、最後まで名人になることを夢見ながらも、叶うことなくこの世を後にした村山聖九段ですが、「東の羽生、西の村山」と呼ばれるほどの棋士だったんです。

羽生善治氏との対戦成績は6勝8敗と負け越していますが、ここには体調不良による不戦敗も含まれています。

しかも、天才と呼ばれる羽生氏を相手に序盤の3連敗から巻き返していることを考えると、その底力には唸らされるものがあります。

村山聖棋士の生涯成績は次のようになっています。

356勝201敗(うち不戦敗12)

主な戦績を見ると、次のような感じです。

竜王戦1組在籍4期 第8期(1995年)~ 第11期
※休場のため第11期1組準決勝以降を不戦敗

順位戦A級在籍3期 第54期(1995年度)~第55期、第57期
※第57期休場中にA級のまま死去

王将挑戦回数1回(第42期 1992年度)
※獲得なし

若獅子戦 第13回1989年度 優勝

早指し将棋選手権 第30回1996年度 優勝

将棋大賞
第20回(1992年度) 敢闘賞
第26回(1998年度) 特別賞

「無冠の天才」なんて呼ばれる村山聖棋士ですが、ご本人の将棋に対する意識はともかく、やはり病気による戦績への影響は否めないですね。

1998年8月8日、29歳の若さで旅立ったとき、最後の言葉は「・・・2七銀」という、棋譜をそらんじたものだったと言います。

「聖の青春」は、以前、2001年のTBS系新春ドラマスペシャルとして藤原竜也さん主演でドラマ化されています。

それ以来の映像化ということですが、今回の松山ケンイチさんは体重を20kgも増やすなど、役作りからして徹底しているそうです。

どのような出来栄えになるか、映画ファンの1人としても楽しみです。
 

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