松坂大輔の中日背番号99の理由や意味は?契約金や年俸も気になる!

 

昨シーズンでソフトバンクを退団した松坂大輔投手(37)が、2018年1月23日に中日への入団を果たしました。

 

報道陣シャットアウトの中で行われた入団テストで、22球を投げて即日の合格だそうな・・・。

 

多くのファンが期待と不安を持って今後の活躍を占っておりますが、とりあえず気になるのが、与えられた背番号「99」に込められた意味であります。

 

すでに報じられてもいるんですが、その理由や年俸についてもご紹介したいと思います。

 

 

今さら松坂大輔投手のプロフィール!

ほんと今さらですけど、松坂大輔投手のプロフィールについて触れておきたいと思います。

 

名前: 松坂 大輔(まつざか だいすけ)

生年月日: 1980年9月13日 37歳(2018年1月現在)

出身地: 東京都江東区(青森県青森市生まれ)

身長: 183cm

体重: 93kg

最終学歴: 横浜高等学校

職業: プロ野球投手 右投げ右打ち

経歴:

西武ライオンズ~ボストン・レッドソックス~ニューヨーク・メッツ~福岡ソフトバンクホークス~中日ドラゴンズ

 

松坂選手のファーストネーム「大輔」は、元プロ野球投手の荒木大輔さんの名前から取ったんだそうです。

 

早稲田実業時代に甲子園で黄色い声援を浴び、ヤクルトスワローズや横浜ベイスターズで活躍したあの荒木選手です。

 

 

幼少期には剣道に打ち込んでいたという松坂選手が、野球を始めたのは小学校3年生のときだそうです。

 

横浜高校時代には「サボりのマツ」なんて呼ばれるほどの練習嫌いだったというエピソードはちょっと意外です。

 

でも、2年生の夏、神奈川県大会準決勝の対横浜商業高校戦で、自らの暴投によるサヨナラ負けを喫したことで、後の「平成の怪物」は目覚めたのでした。

 

当時の持ち味は、150km/hの速球と切れのあるスライダー。

 

3年生の夏、第80回全国高等学校野球選手権大会で対PL学園高校戦を延長17回を完投勝利、そして決勝戦の対京都成章戦では史上2人目のノーヒットノーランを達成したときのことは今でも記憶に新しいところです。

 

 

余談ですが、私(管理人)はプロ野球をあまり見ないんですが、高校野球だけは毎年見るんです。

 

小学生のころから高校生のお兄ちゃんがたが頑張る姿を見て、憧れのような気持ちを抱いたものです。

 

それがいつの間にやら、高校球児は私よりはるかに若くなったんですが、それでも高校野球を見るときだけは童心に戻ることができるんですよね。

 

 

さて、松坂選手は、1999年にドラフト1位で西部ライオンズ入りすると、初先発では155km/hを記録する速球をもって初勝利を上げ、高卒ルーキーとしては33年ぶりとなる新人王に輝きました。

 

その後の活躍も目覚ましく、2001年には3年連続となる最多勝を獲得し、2004年のアテネ五輪では日本代表の1人に選出されました。

 

そして2006年、第1回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)においては、先発したすべての試合で勝利投手となり、見事MVPに輝いています。

 

2007年にメジャーリーグへ進出、ボストン・レッドソックスでは初年に200奪三振を記録した上に日本人初(メジャー史上5人目)とされる、ルーキー年での15勝を達成。

 

さらに日本人史上初のワールドシリーズ先発勝利投手にもなっています。

 

その後、2012年から成績が低迷し、クリーブランド・インディアンス(マイナー契約)、ニューヨーク・メッツと渡り歩いてフリーエージェントに・・・。

 

2014年12月4日、3年12億円という大型契約で福岡ソフトバンクホークスに入団するもケガに泣かされ続け、2017年に11月5日に一軍登板1試合のみという状態のまま退団となりました。

 

 

中日入団の年俸報じられたものの?背番号が「99」になった理由や意味とは?

1月23日、ナゴヤ球場の屋内練習場で入団テストを受け、即日合格を果たした松坂大輔投手。

 

その年俸は1,500万円・・・。

 

これはドラフトで入団する大学生や社会人と同額レベルだそうです。

 

かつての年俸はレッドソック時代が約8億8,000万円だった言いますから、なんだか逆に気が遠くなりそうな金額です。

 

 

さて、当初、背番号が「99」に決まったことは報じられたものの、その理由については明かされておりませんでした。

 

これまで松坂投手の背番号と言えば「18」が代名詞のようなものでした。

 

それが「99」ってどういう理由からなんでしょうか?

 

背番号「99」と言えば、かつて同じく中日ドラゴンズの入団テストを経て大活躍した選手に、中村紀洋選手がいました。

 

 

だから、

「中村紀洋選手に “あやかった” のではないか?」

なんて言われたんですが、どうやら真相は違うようです。

 

そもそも球団が提示した背番号は、「20」と「99」でした。

 

松坂投手は「若い番号の方がいい」とは思いつつも、これはいずれ活躍する若い選手が着けるべき番号だと考えたんだそうです。

 

そこで選んだのが「99」の方でした。

 

9+9=18・・・。

このことも何かしらの意味があるのではないか、と思ったんだそうな。

 

ただ、これを見守る森繁和監督によれば、

「(松坂投手は)苦しんで苦しんだんだから99」

なのだと表したんだそうです。

 

いいですね・・・。

 

ケガに泣かされて苦労した末に、自らの努力で手に入れた中日ドラゴンズへの道。

 

そうした松坂投手のことを理解してくれる指揮官の下で、今後どれほどの活躍をしてくれるものか、期待しながら見守りたいと思います。