2018年1月5日、NHK総合「おはよう日本」で絵本作家かこさとし氏が特集され、注目を集めています。
御年91歳。
児童文学の研究者であり、工学博士でもあられます。
現在は出版を中心に活躍していて、これまでにも数々の絵本作品を世に出しています。
91歳と言えば第二次大戦を経験した世代であり、当時の経験は現在のライフワークとも言える創作活動にも多大な影響を及ぼしていると思われます。
どのような経歴をたどって来られた方なんでしょうか・・・?
かこさとし氏のプロフィールをチェック
本名: 中島 哲(なかじま さとし)
ペンネーム: 加古 里子(かこ さとし)
※ 「里子」は俳号。かこさとし名義でも活動
生年月日: 1926年3月31日 91歳(2018年1月現在)
出身地: 福井県越前市(8歳より東京都板橋区)
出身高校: 成蹊高等学校 (旧制)
出身大学: 東京大学工学部応用化学科
肩書: 絵本作家、児童文学者、工学博士、技術士(化学)
かこさとし公式サイト: http://kakosatoshi.jp/
1948年に昭和電工に入社したかこさとし氏は、目黒区大岡山の会社の寮、川崎市下平間、溝口と転々としながら、研究者生活を送ります。
当時は戦後間もなく、焼け野原に行員住宅が続々と建ち始めたころだったと言います。
1955年には、同社の部長秘書を務めていた女性と結婚し、二女をもうけています。
かこ氏は、同社に入社後すぐにセツルメント(福祉救援活動)や紙芝居といった活動に精を出すようになります。
また、人形劇を学ぶために退勤後には劇団に足を運んだそうです。
最初に手掛けた絵本は1959年に発表した「だむのおじさんたち」で、ダムが人々の生活にどう役立っているのかを描いています。
1973年、47歳のときに昭和電工を退社してからは、「だるまちゃん」シリーズ、「かわ」や「たいふう」といった科学絵本にいたるまで、幅広い作風で知られるようになります。
絵本の作風としては、失われゆく昔ながらの日本文化を題材にしたものが多いようです。
2008年には、「絵本作家、児童文学者としてのユニークな活動と、子供の遊びについての資料集成『伝承遊び考』全四巻の完成」が評価され菊池寛賞を受賞。
2009年には、『伝承遊び考』で日本児童文学学会特別賞を受賞しています。
かこ氏は、もともと絵を描くのが好きだったようですが、1933年に東京板橋に転居した後、近所の絵が上手な子や小学校の放課後指導によってますます好きになったのだそうです。
ただ、当時は折しも戦争への気運が高まっているころ・・・。
東京府立第九中学校に入学したころには飛行機に乗りたいと思うようになったものの、視力が落ちたことにより断念しています。
成蹊高等学校に入学するも、2年生からは軍需工場に動員されました。
なかなか会えない学友との交流を目的に作った回覧誌に載せた俳句が、国語教師だった俳人の中村草田男氏の目にとまります。
このころ俳句の指導を受けるようになり、「里子」というペンネームは当時の俳号でもあったようです。
東京帝国大学工学部応用化学科に入学した1945年、疎開先の三重県で終戦を迎えたかこ氏は、19歳になっていました。
かこ氏の絵本作家としての原点は、まさしく戦争体験にあります。
一時は航空士官を志したかこ氏・・・。
「軍人にあこがれた自分にも責任がある」
として、戦後は企業に勤める傍ら、セツルメント(福祉救援活動)にも精を出したということのようです。
そのいずれにも100%以上の力で取り組んだと言い切るかこ氏。
なかなかに熱い思いをお持ちの御仁であります。
現在は緑内障を患っているそうですが、そのためかかつてないスピードで新作を描き上げたと言います。
しかも、「だるまちゃん」シリーズを3冊同時に発売すると言いますから、そのバイタリティーには眼を見張るものがありますね。
緑内障という病気は、程度にもよるみたいですが、ある程度は薬で進行を抑えられると聞きましたが、かこ氏の目の状態がどうなのか気になるところです。
かこさとし氏の代表作は?
かこさとし氏が手掛けた絵本の代表作と思しきものをご紹介してみます。
まずはこれ、「だるまちゃん」シリーズです。
「だるまちゃんとてんぐちゃん」が最初の作品になるみたいですね。
このシリーズ、間もなく3冊が新たに刊行されるそうですが、現時点では2017年12月に発売された「だるまちゃんとにおうちゃん」が最新作になります。
そして個人的に注目しているのが、これ、「とこちゃんはどこ」です。
日本版「ウォーリーをさがせ!」のように思われますが、実は、同じような趣向の絵本としては、この「とこちゃんはどこ」の方が先駆となる作品なんだそうですよ。
ほかにもとにかくたくさんの作品が発売されています。
楽天市場でもズラッと出てきますんで、参考にしてみてください♪